蔵前技術士会の沿革(2004年)

ア-カイブ(蔵前技術士会の歴史館)      -しぶつうしん-

蔵前技術士会の沿革
松平忠志(前事務局長)

◆ 技術士会の誕生
 組織が継続的に発展してきたとき、通常その背後には多くの先人たちの存在がある。本会の発足にいたるエピソードについては、「 蔵前工業会神奈川技術士会5周年誌 」(PDFファイル)に詳細に述べられており、「10周年誌」(PDFファイル)にも簡単な記載がある。ここで10周年誌の巻頭言のごく一部だけを引用すると・・・
   『故・鈴木虎太郎さん(T14機)の「蔵前の卒業生が、ただ単に集まって飲み食いして親睦を深めるだけでなく、技術者集団として、お互いに気楽に仕事の場で助け合う集団になって欲しい」と言う精神に則って平成元年に発足した。』 また鈴木虎太郎さんについては、『技術士法起案者の一人として、同法の成立に努力された方であるが、終戦直後は、蔵前工業会事務局長をなさっておられ、その後長い間、神奈川県支部長の根本茂さんを助けて、神奈川県支部の発展に尽くされた。』 とのことであるが、本会の発足を見ることなく、残念ながらその直前に逝去された。

◆ 蔵前工業会神奈川技術士会から蔵前工業会蔵前技術士会へ
 さて実際に本会を立ち上げるについては、神奈川県支部からの強力なバックアップと資金援助、さらには市川・永易両氏のご努力があったが、発足当初会員は僅かに12名というささやかな会であった。そして蔵前工業会神奈川県支部の平成元年度総会(6月9日)において、本会の名称を蔵前工業会神奈川技術士会とすることが決まった(この間の事情は、蔵前工業会誌1989年11月号掲載の「神奈川技術士会発足」の記事参照)。その後11年間、両氏は会長と事務担当幹事として、会の基本計画推進から、会計・通信などの事務一切を引き受けて会の発展に力を尽くされた。
 会員は神奈川県内にとどまらず、特に東京在住者が多数参加するようになるとともに、東京支部や蔵前工業会からも補助金の支給を受けることができるようになった。
 平成12年、前田勇氏が2代目会長に就任するとともに、同氏のご努力により、蔵前工業会の関係各氏のご了解を得て、会の名称を「蔵前工業会・神奈川技術士会」から「蔵前工業会・蔵前技術士会」に変更した。翌平成13年、前田会長が急逝され、内田会長に引き継がれたものである。

◆ 法人格なき社団へ
 ところで蔵前工業会の中での本会の位置付けは、平成14年度と平成15年度との間で、大きな変化があった。平成14年度までは、蔵前工業会神奈川県支部の傘下の組織と言われていたが、その実体は「神奈川県支部の内部の組織」であり、全面的に神奈川県支部のお世話になっていた。例を挙げれば会計上は同支部の一部であり、また年度始めには入江支部長が東京支部に対して、本会向け補助金の交付申請を行い、一旦神奈川県支部に入金されたのち、同支部分とあわせて支給してくれていた。
 平成15年度からは、神奈川県支部と東京支部から別個に直接補助金を受け取ることになった。蔵前工業会、神奈川県支部及び東京支部の傘下ではあるが「法人格のない社団」として独立したのである。
                                     (2004年7月)