- トップ >
- 蔵前技術士会TOPページ >
- 蔵前技術士会イベント記録 >
- 蔵前工業会神奈川技術士会について(1994年11月)
蔵前工業会神奈川技術士会について(1994年11月)
ア-カイブ(蔵前技術士会の歴史館)
蔵前工業会神奈川技術士会について
蔵前工業会神奈川技術士会会長
市川英彦(18機) |
設立の経緯と概略
蔵前神奈川技術士会は、平成元年8月に設立第1回の例会を開きました。平成6年はその5周年に当ります。戦後の蔵前工業会神奈川県支部の運営に当り、当時の支部長・根本茂氏(T2機)の片腕として、支部運営の基礎を作られた功労者である鈴木虎太郎氏(T14機)(技術士・機械)は、かねてから神奈川県支部の組織の中に技術士会を作り、同窓生相互の技術啓発と支部会員の、より緊密な協力体制を作り上げる事を心に描いて居られた様であります。
平成元年3月、鈴木虎太郎氏は永易憲三(16機)(技術士・機械)を自宅にお呼びになり、神奈川技術士会の設立を命ぜられました。その時、永易憲三氏は、私(市川英彦18機)に同行を求められました。その帰路、永易氏からは「事務は俺がやるから、お前は会長をやれ」というご指示があり、爾来5年間その時の言葉通り、永易先輩の献身的ご努力により、蔵前工業会神奈川技術士会は、今日の様に盛大になって参りました。鈴木虎太郎さんからは、第1回の会合には出席するから、早急に会を開く様にとのご指示がありました。にも拘らず、第1回の会合を目前にして他界された事は、返すがえすも、心残りでご座居ます。又、この蔵前工業会神奈川技術士会発足に当っては、当時の支部長浅見幾弥氏(16機)の積極的な御支援と、神谷昌夫氏(16機)(当時幹事)のご協力を忘れる事は出来ません。
私は昭和50-60年代には、技術士法に基づき設立された社団法人・日本技術士会の各種会合に出席し、技術士活動を活性化する為の努力を致して参りました。しかしどうも納得する具体的なもの、言わば、海軍出身者同志の様な信頼感・親密感は生れて参りませんでした。私は、技術士と言う同じ称号を持つ者の集まりに、同窓生と言う枠をはめて見たいものだと考えて居りました。また技術士のみが集まって居たのでは駄目で、産業界との脈絡を強く持つ事が必要であると考えて、昭和55年、社団法人・日本技術士会が技術士要覧を発刊するに当り、土光敏夫経団連名誉会長(T9機)に巻頭言を御願い致しました。私如き弱輩が直接、土光敏夫さんと御会いして、巻頭言を頂く事が出来ましたのは、土光敏夫さんが同窓生であった事も去る事乍ら、根本茂支部長の御援助があった事、そして何よりも土光敏夫さんが、後輩を大事にして下さる御気持の現われであったと思って居ります。
同窓生の上下の関係を親密にする事に依って若い人が、何十年もの先輩と語り合える雰囲気は、永い人生の中で大変有効な事だと思います。同窓会で、御互いに呑み食いをして歓談して居た丈では、本当に知り合う事は出来ません。本当に知り合って信頼感が生れて来る為には、一緒に仕事をする事が第一です。その意味で、若い会員の参加を求め、技術士試験に挑戦して頂き、先輩が手助けをすると言うパターンは、必ずや同窓生の間に信頼感のある御付き合いを生む事が出来ると信じ、この蔵前工業会神奈川技術士会の運営に当って居ります。どうか大方の御協力を御願い致します。
技術士試験の支援活動は、以前から、麻生和男(32電)氏を中心に続けられて居りましたものを蔵前工業会神奈川技術士会の設立に当り、その仕事の主軸として引き継いだものです。
第1回の会合には、12名の登録会員の内9名が出席致しました。爾来回を重ね、平成6年10月3日の会合は、数えて32回になります。会員も漸次増加して居ります。平成4年からは東京支部との合流の話が持ち上り、その為会員も急増し、平成6年4月現在の登録会員数は、70名となりました。昨年開催致しました[技術士受験勉強会]の方々の参加を考えますと、かなりの大所帯になります。将来、蔵前工業会の技術士会と言う形にする構想も囁かれて居り、その考えに添って東京支部からの参加もあり、東京支部からは相当の資金援助も頂いて居ります。東京支部のみならず、関東地区の同窓生各位の御参加を歓迎致します。
以上の様な由来から、蔵前工業会神奈川技術士会は、技術士試験の協力・支援を軸に、会則に則り、会員相互の意見交換の基板の上に立って色々の活動を行って居ります。毎回、会員に依る卓話を実施し、会員相互の理解の一助と致して居りますが、第9回からはWG(ワーキング・グループ)を発足致しました。各WGは、その日的を達成すれば、総合報告をして解散し、新しいニーズに基づくWGに移行する事を原則とし、常に新陳代謝して行き度いと考えて居ります。今迄に、WG麻生・WG村谷・WG星野・WG前田・WG尾島が活動し、WG村谷に就いては、総合報告がなされ終了しました。それぞれのWGに就いての詳細は、 各WGの長の報告 に譲ります。
この機に会員の皆様の活発な御活動に依り大変順調に発展を遂げて参りましたが、この活動は、幹事・永易憲三さんのまことに綿密な運営に負う所が大きく、その努力には只々、頭が下るばかりです。この際申し添えて、皆様と共に深甚の謝意を表し度いと思います。
おわりに最近、会員同志の交流が盛んになり、会員相互に誰と誰とがどの様な事で協力した等と言う例が見られる様になって来ました。そこで近くWG斉藤を発足して、それ等の事例項目を発表し記録に残して、会員の参考にする事も考えております。その際、人脈リストが生きて来る事を期待します。
蔵前工業会誌1994年(平成6年)11月号より転載 蔵前神奈川技術士会は、平成元年8月に設立第1回の例会を開きました。平成6年はその5周年に当ります。戦後の蔵前工業会神奈川県支部の運営に当り、当時の支部長・根本茂氏(T2機)の片腕として、支部運営の基礎を作られた功労者である鈴木虎太郎氏(T14機)(技術士・機械)は、かねてから神奈川県支部の組織の中に技術士会を作り、同窓生相互の技術啓発と支部会員の、より緊密な協力体制を作り上げる事を心に描いて居られた様であります。
平成元年3月、鈴木虎太郎氏は永易憲三(16機)(技術士・機械)を自宅にお呼びになり、神奈川技術士会の設立を命ぜられました。その時、永易憲三氏は、私(市川英彦18機)に同行を求められました。その帰路、永易氏からは「事務は俺がやるから、お前は会長をやれ」というご指示があり、爾来5年間その時の言葉通り、永易先輩の献身的ご努力により、蔵前工業会神奈川技術士会は、今日の様に盛大になって参りました。鈴木虎太郎さんからは、第1回の会合には出席するから、早急に会を開く様にとのご指示がありました。にも拘らず、第1回の会合を目前にして他界された事は、返すがえすも、心残りでご座居ます。又、この蔵前工業会神奈川技術士会発足に当っては、当時の支部長浅見幾弥氏(16機)の積極的な御支援と、神谷昌夫氏(16機)(当時幹事)のご協力を忘れる事は出来ません。
私は昭和50-60年代には、技術士法に基づき設立された社団法人・日本技術士会の各種会合に出席し、技術士活動を活性化する為の努力を致して参りました。しかしどうも納得する具体的なもの、言わば、海軍出身者同志の様な信頼感・親密感は生れて参りませんでした。私は、技術士と言う同じ称号を持つ者の集まりに、同窓生と言う枠をはめて見たいものだと考えて居りました。また技術士のみが集まって居たのでは駄目で、産業界との脈絡を強く持つ事が必要であると考えて、昭和55年、社団法人・日本技術士会が技術士要覧を発刊するに当り、土光敏夫経団連名誉会長(T9機)に巻頭言を御願い致しました。私如き弱輩が直接、土光敏夫さんと御会いして、巻頭言を頂く事が出来ましたのは、土光敏夫さんが同窓生であった事も去る事乍ら、根本茂支部長の御援助があった事、そして何よりも土光敏夫さんが、後輩を大事にして下さる御気持の現われであったと思って居ります。
同窓生の上下の関係を親密にする事に依って若い人が、何十年もの先輩と語り合える雰囲気は、永い人生の中で大変有効な事だと思います。同窓会で、御互いに呑み食いをして歓談して居た丈では、本当に知り合う事は出来ません。本当に知り合って信頼感が生れて来る為には、一緒に仕事をする事が第一です。その意味で、若い会員の参加を求め、技術士試験に挑戦して頂き、先輩が手助けをすると言うパターンは、必ずや同窓生の間に信頼感のある御付き合いを生む事が出来ると信じ、この蔵前工業会神奈川技術士会の運営に当って居ります。どうか大方の御協力を御願い致します。
技術士試験の支援活動は、以前から、麻生和男(32電)氏を中心に続けられて居りましたものを蔵前工業会神奈川技術士会の設立に当り、その仕事の主軸として引き継いだものです。
第1回の会合には、12名の登録会員の内9名が出席致しました。爾来回を重ね、平成6年10月3日の会合は、数えて32回になります。会員も漸次増加して居ります。平成4年からは東京支部との合流の話が持ち上り、その為会員も急増し、平成6年4月現在の登録会員数は、70名となりました。昨年開催致しました[技術士受験勉強会]の方々の参加を考えますと、かなりの大所帯になります。将来、蔵前工業会の技術士会と言う形にする構想も囁かれて居り、その考えに添って東京支部からの参加もあり、東京支部からは相当の資金援助も頂いて居ります。東京支部のみならず、関東地区の同窓生各位の御参加を歓迎致します。
以上の様な由来から、蔵前工業会神奈川技術士会は、技術士試験の協力・支援を軸に、会則に則り、会員相互の意見交換の基板の上に立って色々の活動を行って居ります。毎回、会員に依る卓話を実施し、会員相互の理解の一助と致して居りますが、第9回からはWG(ワーキング・グループ)を発足致しました。各WGは、その日的を達成すれば、総合報告をして解散し、新しいニーズに基づくWGに移行する事を原則とし、常に新陳代謝して行き度いと考えて居ります。今迄に、WG麻生・WG村谷・WG星野・WG前田・WG尾島が活動し、WG村谷に就いては、総合報告がなされ終了しました。それぞれのWGに就いての詳細は、 各WGの長の報告 に譲ります。
この機に会員の皆様の活発な御活動に依り大変順調に発展を遂げて参りましたが、この活動は、幹事・永易憲三さんのまことに綿密な運営に負う所が大きく、その努力には只々、頭が下るばかりです。この際申し添えて、皆様と共に深甚の謝意を表し度いと思います。
おわりに最近、会員同志の交流が盛んになり、会員相互に誰と誰とがどの様な事で協力した等と言う例が見られる様になって来ました。そこで近くWG斉藤を発足して、それ等の事例項目を発表し記録に残して、会員の参考にする事も考えております。その際、人脈リストが生きて来る事を期待します。
終