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蔵前工業会神奈川県支部 平成24年度第2回土曜講演会 報告
 
日時 :平成25年3月9日(土) 14:00~16:00
場所  :蔵前会館 ロイアルブルーホール          
参加者:52名
 講師 :藤岡洋保氏 東京工業大学教授 大学院理工学研究科 建築学専攻
 
 演題 東工大大岡山キャンパスの歴史と未来
 
【概 要】
 私達が知っているようで実は良く知らない、大岡山キャンパスの形成史と今後について、非常に興味深い話をうかがうことができました。
蔵前にあった東京高等工業学校は、大正12年の関東大震災で壊滅的な被害を受けたため大岡山に「等価交換」で移転したといわれて
いますが、大岡山キャンパスが苦難の末に形成されたことをご存知の方は少ないのではないでしょうか。
 大正12年末に、蔵前の土地1万2千坪と、田園都市株式会社(現東急)が買収中の「9万2千坪(大岡山)」の等価交換の契約が交わされ
ましたが、実際には大岡山での買収は進んでおらず、高等工業に与えられたのは3つの飛び地でした。新キャンパス整備は時限つきの
震災復興事業だったので、飛び地の間の土地の買収は急務でした。しかし、地主の売り渋りに遭って買収交渉が頓挫し、昭和3年には
三鷹下連雀への再移転を検討せざるを得なくなりました。
 その時に、大井町線延伸のため、学校に渡した土地の一部を線路用地として買い戻す必要に迫られた目蒲電鉄(現東急)が仲介役になり、
飛び地の間の土地を地主から買収し、それと学校(この時点では大学に昇格して東工大)の土地の2箇所とを「等価交換」することで、現在の
キャンパス境界が定まりました(「等価交換」は2回行われた)。キャンパス整備の目処がついたのは昭和5年度で、その年度末に、ようやく
本館着工にこぎつけました。しかしその時でも一部の土地が未買収だったので、本館はそれを避けて建設されました。本館・分析棟・水力実験室
と、実習工場、石川台の研究所群が完成し、キャンパス整備が完了したのは昭和13年でした。
以上のことが関係して、大岡山キャンパスの境界が入り組んでいて、鉄道や道路で分断されているわけです。これは、当時同格と見なされて
いた東京商科大学(旧東京高等商業、現一橋大学)の震災後の国立移転とは対象的です。箱根土地建物株式会社(現西武)が区画整理した
後に移転したので、一橋大学のキャンパス境界は整っています。
 建物整備は学内に復興部を設けて行い、建築学科教官が兼任で担当しました。そのことから、建築学科教官がキャンパス内の建物を設計
するという、他の国立大学にはほとんど見られない状況が生まれ、谷口吉郎、清家清、篠原一男らの有名建築家の作品がキャンパス内で
見られることになりました。近年でも、緑が丘1号館のユニークな耐震改修、閲覧室を地下化した附属図書館、敷地境界の塀をなくしたTTF、
ソーラーパネルを張ったエネルギーイノベーション棟など、国立大学施設の未来を示唆する施設が建築学の教員によって設計されています。
 大岡山キャンパスにはその形成過程に由来する問題がありますが、それを近隣とのより緊密な関係を築くための好条件として読み替えて、
施設や緑の整備をすることが肝要と考えられます。それは東工大の未来を設計することにもなるでしょう。
  ご講演後はさまざまな観点からの質問が出され、横浜如水会の方は、一橋大学との比較に関心を持たれたようでした。

                                                                  <文責> 佐野泰久(S45 応物)