石坂高志氏について
1953年卒 松原 光一
バスケットボールの思い出の文中に述べた通り、石坂氏を工大のバスケ部コーチにお願いした張本人が私である。
石坂氏とは幼稚園が一緒で、中学、髙校時代(石坂氏は東京髙校、私は都立髙校)お互いにバスケットボール部に入り、
両校は頻繁に戦い合った仲である。大学も東大と工大と別々であったが、
その頃はお互いの家を行き来しながら、専ら囲碁と麻雀を楽しんだものである。
石坂氏は二、三の髙校のバスケットをコーチしていたことから、工大のコーチをお願いした訳であるが、
栃木県の氏家髙校の女子チームをコーチしていた時、国体予選で栃木県代表となり、
東京で行われた関東大会に参加したことがあった。
氏家髙校のチームが夏季合宿をした際、私も彼に頼まれてコーチの手助けをし、氏家髙校の合宿所で数日を過したことがある。
学校挙げての歓迎で、駅に到着した時は学校の関係者や町役場の人の出迎えを受け、
合宿所では髙校の先生方の卋話で風呂を沸かして頂き、食事の卋話もして頂いた。
その頃、国土計画の中で尾瀬沼が破壊されるという噂が流れた為、こわされる前に見ておこうと、
二人で2泊3日の旅をした。その時の写真を下に示す。

石坂氏

松原
お互いに異なる分野で仕事をしていたので、会う機会は殆どなくなったが、
20年位前と思うが、彼が東京に出張で来た際、銀座で飲みながら話し合ったのが最後で、
それ以来逢う機会が無いのは誠に残念である。
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