はじめに

学友会10年史

畑 敏雄先生が書いた最初の歴史書

畑敏雄先生

1940(昭和15)年卒
畑 敏雄先生

東工大学友会十年史(昭和4-14年)から
(163-165ページ)籠球部

大學は早くも十年の齢を重ねてこゝにその歴史を編まうとするに到つてゐる。われわれの籠球部はしかしながらその母なる大學と同じに年をとつたとは言ひ得なかつた。創立早々蔵前から引き繼がれた籠球部は十年後の今日も猶創立當時と同じ嬰さと惱みと又同じ希望と明るさとを持つて胎動を續けてゐる。われわれには誇るべき戰績もなければ語るべき傅統もない。年々歳々新しき部員が新しきエスプリを以てバスケツトボールを遊戯して來たにすぎぬといふのが眞實であらう。
さればその十年の間に事實上部の活動を停止した空白の數年があつたとしても、敢へてその時代の責任を追求する必要もなければ部の恥辱と考へる必要もない。それは籠球に對する工大學友の誠に正直な關心の表示であるに過ぎないからである。そしてそれは又選手制度を否定して一般學友のためのスポーツを標謗する本學運動部の當然のあり方であると思ふのである。
然しながらこのことの是非は自ら別に論ぜられなければならない。スポーツの本質はそのバスケツトボールたると否とを問はず、樂しむことにあるといふよりは寧ろ苦しむことにある。學生スポーツに於て特に然る。選手制度が公式的に否定し得ず否寧ろ大きな存在理由を有すると思はれるのは、それが要求する献身と苦痛とによつてである。之はスポーツマンにとつての第一義の道である。
之に對して、樂しむスポーツ、健康のためのスポーツ、社交のためのスポーツ等々といふものが存在するとすれば之はスポーツマンの第二義の道である。而してわれわれの大學があらゆる角度からわれわれのために醸成しつゝある雰園氣は遺憾ながらまさにこの後者のためのものでしかないやうに思はれる。籠球部の過去もこの埓外に多くを出でなかつたことを告白しよう。しかも限りなく籠球を愛し、スポーツ生活の第一義の道を憧憬することに於て人後に落ちない熱心な部員がゐたことも事實なのであるが。 部としての籠球部の歴史は大學昇格の日より僅かに早く昭和四年一月に始まる。それまで蹴球部内に生長して來た愛好者のクラブが一月の評議會の議決を經て正式に籠球部に昇格したのである。
當時の重な目標は全日本選手權大會、全國高専大會等の如き勿論であらうが、主として秋の關東専門學校リーグに全力が注がれてゐた。しかし之れは蔵前が大學となると共に退いて、代つて昭和六年關東大學リーグ(二部)の一員となつた。當時の記録中興味を引くものに夏季合宿がある。昭和四年五年共に合宿を静岡の東洋モスリン工場の附属コートで行つて、練習と見學とコーチと經費節約と一石數鳥の案を實行した。もとより練習のためには能率の良い計畫ではないが工科學生の一つの面を見得て面白い。 六、七、八年にわたる大學リーグの戰績は、闘将志賀の活躍にも拘らずよい方ではなかつた。一年間の部費も常に七、八十圓の程度を出なかつたので、活動も思ふにまかせなかったに相違ない。さてこの第一期の籠球部は熱心な部員の大量的卒業と共にやがて次第に不活溌な狀態に陥り、昭和九年には大學リーグの試合にも出場せず、遂に本部委託の運命となるに到った。
その後假眠すること三年、籠球愛好者のやむにやまれぬ欲求が再結晶して復活の事が計劃されたのは昭和九年も末であつた。
この殊勳者の筆頭に成蹊高校出身の大石があり、それを援けて土志田、野村、立石、谷口、福島等の協力者があつた。現在の籠球部は之に引續く全くの嬰兒である。十二年の内部充實時代についで十三年は再び關東リーグ二部に加盟し、帰り新参の威力も物凄く慶應を除く他の全校を完全に紛碎した。
本年はもとよりこのリーグ(二部)の優勝を狙ひ日本籠球界の最高峰をうかゞふ意氣込みを以て練習を積んでゐるのである。
バスケットボールを技術的に見ると甚だ難しい競技である。他の如何なる競技よりも細いテクニツクと微妙な頭腦とコンビネーシヨンが要求される。之を體育的に見ると甚だ過激な運動である。アメリカの統計が示す所ではアメリカンラグビーに次いで怪我の多いスポーツ即ち荒いスポーツでもある。
しかもこのバスケットボール競技は、今日日本の如何なる山間僻地の小學校へ行つても校庭にその設備が見られるやうに、小學生にも容易に入り得るボピュラリテイをもつ競技なのである。女學校でも盛に行はれてゐる。實業團チームが最近急增して來た。これらの事實はバスケットボールがあらゆる意味に於て最も入り易くして最も奥深いものであることを證明してゐる。バスケツトボールは萬人のスポーツなのである。
このことは本學に於ける現況ともよく一致する。部員以外に各科(機械、應化、電氣、建築等)學生のクラスマツチ、豫備部生徒の練習等々を通じて籠球部の利用狀態は甚だ活潑である。我々はこの現象を喜ぶ。それと同時に更に來たりて共に苦しむバスケツトボールをやらうではないかと呼びかけざるを得ないのである。そこから新しい籠球部精神が生れる。そこから新しい大岡山精神を作り出さなければならぬ。我々の言葉はかうだ。
バスケツト程やさしいものはない。來りて楽しめ?
バスケツト程苦しいものはない。來りて苦しめ!(畑記)
旧体育館

講堂と体育館(東京工業大学130年史より)