柴家茂会員(1953年建築卒)が自分史を刊行
「一人の父親が息子の為に書いた自分史」
柴家茂会員が自分史を刊行されましたので、ご紹介します。
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1)自分史は、自費出版が多いと思われるのですが、柴家さんの場合は出版社から販売されています。(東京図書出版:一人の父親が息子の為に書いた自分史、柴家 茂 著、四六判180頁 定価1200円(税込1296円)ISBN978-4-86223-980-8 )
なお、東京図書出版のサイトで、『立ち読み』機能が利用でき、16ページ分を見ることができます。
2)柴家さんは、1925年1月大分県で誕生され、経歴をみると、小学校>工業学校>日立鉱山>陸軍士官学校>大工・百姓>旧制五高>大学と波瀾に満ちた90年間で、“20歳の時敗戦でしたので、その前後の曲がりくねった人生行路とその時々の思いを書いた積りです”とは、本人の弁。
自分史の部分は100ページほどですが、この自分史を際立たせているのが、付録として、二男の嘉明さんが編集された「65年昔の手紙」往復書簡が含まれていることです。
1949年8月(高校3年生)から1951年3月(東工大1年生)までの間に、奥様となられる正子さんとやり取りされた手紙から、食べるものにも苦労する時代に交わされたお二人のやさしさや思いやりが伝わります。
3)バスケットボールとのかかわりは、工業高校、旧制五高、東工大と長く、それぞれでキャプテンを務めた。インターハイ九州ブロックで優勝したが、中国ブロック優勝の山口高校に敗れ全国大会には行かれなかった。東工大時代、これはどこかでお聞きしたことがありますが、長野の“日の出旅館”善光寺のまん前の旅館に泊まり、1週間の合宿をしたと書かれています。また、駿河台の明治大学の体育館で試合をしたことも。
高校時代の上半身裸での写真を見ると、皆やせ細っていて当時の食糧事情の一端が窺える、などなど。手紙の中に、1950年の関東大学バスケットボール大会秋のリーグ戦の様子も書かれていました。 “バスケは連敗です。無理です勝つのは 水曜と土曜しか練習してないのですから やっぱり練習不足?体力不足?素質?”。
横山功一【1969(昭和44)年土木卒】記